「メイキング オブ "もとさわ"~山形の米"もとさわ"ができるまで」

山形市本沢地区で収穫されるお米の生産現場を四季を通して総力取材!! この地域で農業に取り組む米農家の皆様に完全密着致しました。






山形米 「本沢の米」 播種(種まき)

雪深く寒さ厳しい山形の冬も、3月を経て4月になる頃には、ポカポカと暖かい陽気に包まれ小春の日和の穏やかな日が続くようになります。
この頃になると、各地の米農家の方は本格的に稲作への準備に取り掛かりますが、ここ山形市南西部に位置する本沢地区でも、5月の田植えに向けてお米を発芽させる「芽出し」という作業が始まります。

この地域には、「長谷堂城の戦い」として歴史的にも有名な「長谷堂城跡」が存在する山があります。その山を地元の人達はみんな城山(しろやま))と呼んでいます。その城山のふもとに、湯田(ゆだ)というところがあります。その湯田には、地下から湧き出る天然の温泉のようなところがあるのです。水温は比較的温めなので、「お米の芽出し」を行うには最適な温度なのだそうです。


長谷堂城が存在していた戦国時代(1600年頃)、ここは当時、長谷堂城の城山を囲む堀の中に存在していたと分析されており、この土地の歴史をよく紐解いていくと、稲作が盛んなこの地域では何百年も昔からこの「湯田」が稲作に利用され、最上家配下の武力によって守られていたと言うことがわかってきます。
この「天然の泉」は現在、個人が所有している土地になっていますが、地主の方のご協力を得て今尚、「本沢の米 生命誕生」の地として利用されています。

芽出しが行われてからしばらくすると、本沢の大きなハウスの中で「播種 (はしゅ)」という作業が行われます。これは、いわゆる「種まき」の作業工程になります。
本沢地区の水田40ha(ヘクタール)に田植えを行うために、本沢地区の農家や近隣住民など、多くの方々のご協力を賜りながら、皆が協力してこの種まきの作業は行われていきます。

育苗プレートを管理する人、水に浸す人、コンベアに乗せる人、肥料と土を補給する人、出来上がった育苗プレートを運ぶ人・・・。広大なビニールハウスの中で、それぞれの工程を皆が分業し効率よく作業を進めていきます。


出来上がったプレートは、ベルトコンベアの上から交代で受け取り、それを軽トラックの荷台へ運び、丁寧に重ねながらハウスの奥の方まで運んでいきます。
軽トラックを移動させたら、今度は一枚一枚のプレートをビニールハウスの隅から隅まで、決められた所定の位置に丁寧に並べていきます。一見単純に見えるこの作業も、育苗のことを想定して行わなければならない為、大変根気のいる作業になります。


ある程度ブロックごとに育苗プレートが敷き詰められたら、土や肥料の水分を保つためにシートを覆い被せていきます。
何千枚ものプレートをこの広さのハウスに敷き詰めていくわけですから、これだけの大人数で作業に取り掛かっても、このハウス1棟だけで丸2日掛かります。
このハウスが終わると、今度は隣にあるもう一棟のハウスに移動し、同じようにプレートを配列していきます。

ちなみに、この大きなハウスに並んでいる品種は「山形県産はえぬき」で、隣のビニールハウスでは「コシヒカリ」「つや姫」の育苗を行っています。

このように本沢農産のビニールハウスでは、田植えを行うときにまたこのハウスへ直接軽トラックを乗り入れるため、あえて育苗のためのプールは作らず、敷き詰めたビニール上で育苗プレートを管理していきます。


毎年稲作始まりに、地区の皆さんが一致団結して行う「播種」という作業。 かなり体力を必要とする作業ですが、皆さんは疲れた表情を全く見せず、むしろ和気藹々と冗談を交えながら楽しそうにやっている。

農作物も生き物ですから、作る方の「愛情」や「人柄」というものが必ず出ると思う。
楽しそうにやっている人達が作るお米は「きっとおいしいに違いない。」
傍目にそう思わせてくれるような和やかな雰囲気で作業は続けられた。
束の間の休息に見せる皆さんの笑顔が印象的だった。








山形米 「本沢の米」 育苗~耕運

播種を終えると1ヶ月後に本田にて田植えを行うまでの間、ビニールハウスの中で種もみを大事に育てていく「育苗」という作業工程に入ります。
ここでの作業は、種を蒔いた土の乾き具合、日当たりや室温、湿度に気を使いながら、水分の供給作業を行います。
この工程での良し悪しが米の品質すべてに影響を及ぼしてしまうため、それこそ早朝から夜遅くまで、常に苗の生育状況をチェックし、その日の天候を見極めながら適切な苗管理を行っていかなければなりません。


「田んぼに行くまでの苗の管理が、一番神経を使うんですよ」 (本沢農産 今野代表)

播種を行ってから本田に行くまでの1ヶ月間、このように生産者の今野さんをはじめ、本沢地区の農家の方々が大変神経を使って苗を管理していきます。

きめ細かな苗管理を続けて播種から約2週間程すると、ビニールハウスの中はあたり一面、少しづつ育ってきた苗の新緑が緑色の輝きを放ち、ハウス全体が見事な光景となります。

育苗での水分補給は、ハウス上部に取り付けられたスプリンクラーによって自動散水されていますが、どうしても水分が行き渡らない所も当然出てきます。
そうした場合も根の張り具合や水分の補給状態を見極めながら、場合によっては育苗プレートの位置を交互に変えて、すべての苗に細心の注意を払って育苗を行っていく日々がさらに続いていきます


室温管理にも十分配慮しなければなりませんから、室温計を計測し、ハウス上部と両サイドの通気口を開閉しながら、常にハウス内が一定の温度になるようにコントロールしていきます。

育苗と並行して、本田では本格的に田植えを行う準備が始まります。
まずは、水田に苗を植えつけられるように田を耕さなければなりません。この作業を「耕運」といいます。


耕運は、冬の間に硬くなってしまった田んぼの土を細かく砕いて、これから行う田植えのために土の性質を良くしていくために行います。水田には稲わらやたい肥・肥料を蒔き、耕運機で水田を隅から隅まで掘り起こしていきます。すべての農作物の源となる土。その土を新たに掘り起こしていくことによって、大地の香りが辺り一面に漂いはじめます。
掘り起こした土独特の香りに、農作物の生命そのものを感じます。
「農作物も生きている」 そんなことを「嗅覚」で感じることが出来る「春」。
太陽の光を燦々と浴びながら、自然すべてが新しいエネルギーに満ち始めている何とも言えない良い季節だ。日本の四季というのは、やはりとても美しい。








山形米 「本沢の米」 代掻き~田植え~さなぶり

5月中旬、いよいよ本格的な田植えシーズンの到来です。田んぼでは耕運が終わった後に田へ水を流し込んで、「代掻き(しろかき)」という作業が行われます。これも田植えを行うために行う「水田作り」の一つです。

作業そのものは「耕運」の作業法と一緒になりますが、数日後には実際に育った苗を田んぼへ植えつけていくわけですから、田の土塊を出来る限り細かく砕き、肥料と土をよく混合して水田を平坦に仕上げていきます。

水田が出来上がると、いよいよ田んぼへ苗を植えつける「田植え(たうえ)」の開始です。
ビニールハウスの中で約一ヶ月間管理し、元気にすくすくと育ってきた苗。
田植えのシーズンは、毎日早朝から日没前まで本沢の田んぼを行ったり来たりの往復を繰り返し、その日のスケジュールに合わせて分業で作業が行われていきます。
早朝、まずは皆で育苗プレートを一枚一枚軽トラックの荷台に載せ、田植えを行う田んぼまで運搬する作業を行います。1日1日効率よく田植え作業を進めていくにはやはり全体のチームワークが要求されますが、毎年作業を行っているメンバーということもあり、さすが現場での連携プレーは抜群です。


運び出した苗は、朝から田植えを行う水田の傍まで運搬し、速やかに田植えに入れるように準備を整えます。肥料も同様に分担して運搬します。軽い朝食をとった後、気持ちの良い朝日の光を浴びながら本沢の田んぼで皆が一斉に田植えをスタートさせます。
田植えそのものは、およそ1時間ほどの時間で田んぼ一枚(30アール)の植え付けが完了する計算になっています。


本沢農産の今野代表は、天候はもちろん、人の配置、機械、所要時間、全体のコストなど、あらゆることに気を配りながら適切に指示を出していきます。
米農家を取り巻く厳しい環境に加え、他県産のお米ブランドとの競争、そして外国との価格競争も当然意識していかなければなりませんから、田植えから米の収穫まで、すべてをロジカルに発想していかないと、現代の米農業は淘汰されていきます。
現場のトップは、あらゆる現状を見極めた上で適切な指示と決断をしていかなければなりません。

田植えの機械は大型になり、昔に比べると作業は大変効率良く進められるようになりました。しかし、年々農業を行う人達が減ってきたり、この作業を行うための機械が大変高額なために機械を維持出来なくなる農家も決して少なくないといいます。実際、このような機械を維持できないという理由から農業を辞めていく人、自分で農業は行わずに田んぼを貸し出す人達が増え、この本沢地区でも米生産現場の急激な変化を目の当たりに感じるようになってきたとの声が聞こえてきます。


農機具の価格が下がってくれれば日本の農業にも変化が起こるのでしょうが、現状では機械の高性能化ばかりが注目され、生産の現場そのものにはなかなか光が見えてきません。特に秋作業のコンバインなどは1,400万円もするというから驚いてしまいます。
「これでは、田んぼの中でベンツを乗っているようなものだ・・・・」と今野さんは冗談混じりに笑ってみせるが、決して胸中穏やかなわけはありません。
日本の農業に大きな危機感を募らせながらも、いざ季節が訪れ米を作り始める環境が整ってくれば、今年もまた皆が必死になって現場に立ち向かわなければならない。

「このような厳しい環境だからこそ立ちはだかる難題に真摯に向き合い、前向きに闘っていこうとする姿勢がなければ、現状は何も変わらない。それに、若い人達だって育ってくるわけがない。」

日本人の御飯の需要が高まるにはどうしたらよいのか・・・
需給均衡の明確な解決策は、なかなか見えない。


その一方で、農業が好きで真剣に農業に取り組んでいこうとする若者もいる。
早川洋二さんは、取材したこの年に新規就農を目指して現場で一生懸命汗を流していた方だ。
「農業は大変だ」と言う一般論とは裏腹に、早川さんは楽しくて仕方がないという様子で農業に取り組んでいた。
「近くを通るたびに、ここで農業をやっている皆さんがとてもうらやましかった。」

どんな仕事も、その仕事が好きで、仕事が楽しいと言う人には絶対に敵わない。
それが大変な仕事であったとしても人間は究極、「好き」で始まった延長線上に「仕事」がある事ほど「幸せな生き方」はないのだから。

家庭菜園の域から始まって「農業」に興味を持っている方、農家育ちではないけれど、「稲作」に挑戦してみたいという方。
ホントはこのような方々が、、山形にだってもっといるんじゃないだろうかって思う。
もはや「米農家のせがれが米農業を継ぐ」みたいな「世襲農業」は通用しないわけで、実際の現場にはこういう「農業が好き」という人間が間違いなく必要なのである。
これからの現場を支えることが出来るのは、そういう「農業が好き」という人達でなければ絶対に無理である。

今野代表も「農地を自分で所有していなくても農業が出来る環境作り」、そして「志のある若者にチャンスを与えていく機会」、現場も変わっていかなければならいないと言っています。

「御手作米」と語り継がれ、数百年前に山形城主への献上米にもなっていた「本沢の米」。
伝統あるこの地の食文化を後世へ継承していく人間が、地元であるに越したことはない。しかし、決して地元の人に限定される必要もないのだ。

いつの時代も、意志ある人が道を作るものだ。







山形米 「本沢の米」 新品種 つや姫

つや姫は、コシヒカリを超える山形県産ブランド米の確立を目指し、山形県が品種改良を重ねて約10年の月日をかけて開発した期待の新品種です。
つや姫は、粒がやや大きめで、ネーミングの通りお米の表面がつやつやで真っ白。炊き上げた御飯はうまみは抜群でもっちりとしており、やや弾力がある食感が特徴です。
粒・色・つや・食味共に発売前からかなり抜群であるとの前評判が、山形県民のみならず全国的にも期待の度合いを物語っていました。


特別栽培米として山形県から認定された農家だけが栽培を手掛けており、ブランド米としての地位確立に向けロゴマークや販売手法にも規制線が張られ、期待と不安の中、つや姫の栽培がスタート。
ここ本沢地区ではR348沿いに面する入り口と出口付近をあえて「つや姫」を栽培する田んぼとして確保し、初年度ということもあって本沢農産の今野代表は「のぼり」を制作して、生産のみならずドライバーへの宣伝にも力を入れました。


つや姫は名実共に高品質であり、炊飯米として外観と味に優れ、コシヒカリ以上の極良食味です。 (財)日本穀物検定協会におけるランキングでも、2008年・2009年産米とも、参考品種ながら特Aにランクイン。
2010年夏の記録的猛暑では一等米比率が全国平均で63%(新潟県ではコシヒカリ17%、県全体で19%)と過去最低となったのに対し、山形県産つや姫は一等米比率98%(県全体で76%)と国内品種の最高値であった事はうれしいニュースとなった。
山形県産の「つや姫」が、極良食味でしかも高温にも耐えうる品種であったことは、山形県の米生産農家に一筋の光明をもたらしてくれた。

日本のトップブランド米を目指す山形県産の「つや姫」は、冷えてもおいしく、おにぎりやお弁当などにぴったりのお米です。







山形米 「本沢の米」 清らかな水と御手作米

「本沢で収穫されるお米は昔から美味しい。」
この地域で収穫される「本沢の米」を定期購入してくださっている主婦達が口を揃えておっしゃってくれた。
その美味しさの秘密とは、一体何なのだろう。


お米だけではなく、この本沢地区の農作物全般が美味しいと言われる一つの要因として考えられるのが、やはり白鷹山麓から流れてくる本沢川の「水」にあるようだ。

白鷹山麓には、ミネラル成分を豊富に含むと言われる弱アルカリ性粘土鉱物「ベントナイト(モンモリロナイト)」が至るところにあり、この天然鉱物が「水質浄化」の働きを手助けしてくれているのだ。
この「ベントナイト」とは、モンモリロナイトを主成分とした天然資源の粘土鉱物で、膨潤性、粘結性、吸水・吸着性があって、傍から見ると岩のような鉱物です。
この物質は数千万年という長い期間にわたって海底や湖底に堆積した火山灰や溶岩に、ある程度の温度や圧力が加えられたことで、分子レベルで構造変化が生じて生成されたものです。
要するに、幾多の条件が揃ったことで偶然に生まれた「地球からの贈り物」なのです。このベントナイト(モンモリロナイト)は、白鷹山麓から流れ出る本沢川源流の至るところの水域で見ることができ、特に上流の川底や滝になっているところで多く見ることができました。


この粘土鉱物は、自ら水分を含んで膨む膨潤性を持っており、その高い吸着性で、本沢川の水質浄化を促進していると考えられます。
つまりこの鉱物とは多孔質で、水を吸着する穴がいっぱいある構造になっており、分子レベルで水質を浄化する作用を持っているのです。また、鉱物そのものは弱アルカリ性で、ミネラル成分を豊富に含んでいます。
親水性、吸着性に優れたベントナイトが、「天然の贈り物」と言われる由縁はここにあるようです。





この「清らかな水」は、山間の源流から本沢川を下流へと流れ、その裾野にある本沢地区の水田へと流れ込みます。そして、「本沢の米」に息吹を与えているのです。このように本沢地区を取り囲む自然環境は大変に恵まれており、土壌を含めた様々な好条件が美味しい農作物を作る要因と考えられています。

本沢地区で生産されるお米は古来より「御手作米(おでさくまい)」と呼ばれ、古くからこの地に継承されてきた伝統あるお米でもあります。

昔からこの地域で収穫されるお米は大変おいしいと言われてきました。
それは時を遡ること藩政時代、出羽の荒武者で山形城城主・最上義光公への「特別献上米」として大切に育てられていたという、歴史的な背景からも窺い知ることができます。
現在もこの地区には「御手作」という地域が存在し名残りを残しています。その名前の由来通りに「御手作り」でお米を栽培していたという事実がそのまま地名になったようです。
戦国の武将へ献上するお米を栽培しているわけですから、この時代の農民も大変気を使いながらお米を栽培していたと思われますが、「おいしいお米を作る」という米農家の思いは、今も昔も決して変わることはありません。

このように先人から継承してきたこの土地の自然や文化、そしてこの地で代々稲作を行ってきた農家の方々の熱い想いは、時代を超えて「バトンリレー」されています。




直江兼続 vs 最上義光!! 戦国の武将も本沢の米を食べていた!?

今から約400年程前には、この地域で「慶長出羽合戦」と呼ばれる歴史的な大合戦が繰り広げられ、NHKのドラマ「天地人」でもフォーカスされた「直江兼続」と、山形藩主の「最上義光」の数万の兵軍が武力衝突、出羽の関ヶ原とも呼ばれる大規模な合戦になりました。

戦いの舞台となった「長谷堂城」とは、山形城から南へ約9キロの小さな山の上にある山城で、山形城主の最上氏にとって重要な防御拠点でした。現在は地元の人達に「城山(しろやま)」の愛称で親しまれています。辺りは水田に囲まれており、その水田群が現在の「本沢の田んぼ」です。


長谷堂城の攻防では、直江兼続が率いる上杉軍1万8000名の兵が山形に攻め込んできました。
しかし、それだけの大軍隊を強いても、上杉軍はなかなか長谷堂城へ攻め込むことが出来ませんでした。

なぜならば、長谷堂城周辺の田んぼ、即ち「本沢の水田」にぬかるんで、全く前進できなかったからです。
本沢の田んぼにサムライも馬も足をとられ、迅速に行動ができないのです。泥にまみれて前進できず、敵地を攻め込むどころか山頂より優位に一斉射撃を浴びせられてしまった上杉軍。この長期化した歴史的な合戦に大きな影響を及ぼした原因は、なんと「本沢の田んぼ」だったわけです。



この戦いが始まった慶長5年(1600年)9月17日。昔も今もお米の収穫時期にあたります。
このような悪条件に業を煮やした直江兼続は、この長谷堂城周辺の田んぼで一斉に「刈田狼藉 ( かりたろうぜき )」と言われる実力行使に出ました。
これは、敵陣の食料となる田んぼの稲を勝手に刈り取ってしまえという戦術で、自分の軍隊の食料を「現地調達する」という目的と、敵の収穫物を略奪することで敵の心理的動揺を意図的に狙い翻弄させるという「戦いの兵法」です。いわゆる「見せつけの心理戦」です。

中国古典の有名な書籍 「孫子の兵法」などにも記されている通り、戦争ではどの国でも兵隊の食料は基本的に「現地調達」となります。
この戦いにおいても、合戦の時期が9月の中旬から10月初旬で「稲刈りの時期」だったことと、「長谷堂城の合戦」の文献や資料などから当時の状況を読み取ることで、両軍ともにこの本沢の地で収穫された「本沢の米」を食べて、この大合戦に挑んでいたという歴史的事実を察することが出来ます。


戦いに挑む「サムライ」といえども、我々現代人と同じ「人間」ですから、腹が減っては戦は出来ません。

2週間この地で翻弄させられた直江軍も、敵の攻撃を受けて立った最上軍も、激闘を繰り広げながら、この地のお米を食べていたという事実はとてもおもしろいものです。

当時の「本沢の米」のお味はいかがだっただろうか。

戦国時代にタイムスリップできるのならば、そんな真実を垣間見たい。

ちなみに「慶長出羽合戦」開戦から二週間後、関ヶ原の戦いにおいて石田三成率いる西軍が、徳川家康率いる東軍に大敗を喫し「敗戦」という情報が直江兼続のもとにもたらされると、直江兼続は荒野の浪人・前田利益(前田慶次郎)に諌められ、この地から速やかに撤退する決断をしました。

この撤退戦は陣頭に立つ最上義光の兜に銃弾が当たるなどさらに大激戦となった。 この上杉軍の判断と善戦は後世まで語り草となり、敵方である最上義光、徳川家康らからも大いに賞賛されたという。。



「難攻不落の長谷堂城」と言われる要因を作った「本沢の田んぼ」。
そして、直江軍、最上軍、両軍の兵糧にもなった「本沢の米」。

時代を超えてこの地で作り続けられる「本沢の米」には、そんな戦国時代の「サムライスピリット」が宿っている。








もとさわの米 生産者と現場の声

2010年 秋。 稲刈りの真っ最中に大幅な米単価下落のニュースが舞い込み米生産現場に大きな衝撃が走­った。 ㈲本沢農産代表今野氏に、生産者の立場から見た米農家の現状と実際の現場の声を急遽語っていただきまし­た。

我々消費者が思っている以上に、お米を生産する現場は年々厳しさを増している。
しかしこの年、大幅な米単価の下落に見舞われても「お客様優位」の姿勢は崩さないと、本沢農産の今野代表はこれまで通りの単価で既存顧客へお米を提供していくことを決断した。
補助金で賄えば良いという考え方が続く限り、日本の農業が再び繁栄することは有り得ないし、若者を育てる環境そのものがなくなる。
農業の現場にも、今野氏のような「サムライ」は必要だ。

日本では今、TPP参加か否かという問題が議論されています。

TPPとは、「環太平洋戦略的経済連携協定(Trans Pacific Partnership)」の略称。
アメリカには、NAFTA(北米自由貿易協定)という自由貿易圏があり、アメリカ、カナダ、メキシコの3ヶ国では関税など関係なしに自由に貿易を行うことができます。このような自由貿易圏を太平洋周辺の広い地域で作りましょうというのが、TPP構想です。

日本がTPPに加盟し、予想通りに他国からの安い農産物などが入ってくるようになれば、消費者としては安い農作物や米が購入できるので、メリットは大きいかもしれません。
しかし、国内農家の廃業率は一段と高まり、日本の食糧自給率は間違いなく下がってしまいます。決して良い事ばかりではありません。

このTPP加盟によって、日本にどの程度のメリット、デメリットがあるのか。参加してみなければわからない部分がたくさんあります。

世界は今、「グローバル経済」への道を歩んでいます。情報も物流も世界を相手に競争し、取引し、商売していくという時代です。
私は、このような「時代の変化」の中で自由貿易は必然的な流れであると思っていますので、日本だけ鎖国志向の政策を取り続けることはとてもナンセンスな気がしています。農水省はこのTPP加盟によって農業が壊滅的な打撃を受けると大変な反対していますが、私はむしろ国際競争の中で日本の農業は益々磨かれていくと思っています。

決して外国を援護をするわけではありませんが、日本には他の国の文化や経済、そして情報を上手に取り入れながら高度に経済を発展させてきたというすばらしい歴史があります。過去の歴史が、これらの答えを証明してくれています。農業だけではなく、本当に日本の国益を考えるならば、やはり前向きにTPPへ参加していくべきであると個人的には思っています。
むしろTPPを利用して、日本の農産物の質の高さを世界にアピールする絶好のチャンスとプラスの面で捉えれば、決してマイナス要因ばかりではないと思います。
さらには「Made in japan」にこだわる時代ではなく、日本人が海外の土地で農業を行うという発想も必要かもしれません。外国人に農業の技術指導をしながら、外国人と共に生産し出来た農作物を「Made by Japanese」として売り出す発想も必要な時代なのです。

日本の農作物、特にお米の生産技術は他国よりも断然高く、日本のお米の味はとても美味いと言われています。
だが、コストが掛かるので価格は外国とは比較にならないほど高い。
だから、海外の高級ホテルや裕福な富裕層などへターゲットを完全に絞った上で、生産したお米を真空パックにしたり、高付加価値戦略を取る事によって少しづつ海外のロイヤルカスタマーを獲得していくというのもアイディア次第だろう。

その一方でTPP加盟で農業が衰退するという反対派の意見も本当に多いと思います。
反対派の意見もやはり否定は出来ません。国産に比べると外国産は遥かに安いですから、需給が壊れると思われるのも無理ありません。
外食産業のほとんどは外国産を採用する事になるので、すき屋などの牛丼やファミリーレストランなどは更に低価格が実現していくと思います。
しかし購買を決定するのは我々一般の消費者ですから、自ら買わなければ、あまり変わわることはありません。安いし味も良いから外国産を買いましたという消費者が多い場合には、その商品、その分野においては、結果論として「賛成派」が多かったということになります。
私達すべての消費者が購買における決定権を持っているので、そこには「優勝劣敗」という市場原理が働きます。
外国産との競争になれば立ち行かなく農家も確かに増えるかもしれません。
けれど日本のすべての農家が全滅するというわけではないのです。
日本人すべてが、100円ショップで買物して生活している人ばかりではないと言う事です。

逆に海外の人達にもっと日本の米の美味さを知ってもらえれば、そこにはそれを必要とする人達のマーケットが生まれます。
日本国内でも同じです。海外のお米を食べれば、日本のお米がいかに品質が高いかがわかってもらえます。
その上で安さ・価格に走る人、良質で美味しいものにこだわる人、高価格でも安心・安全を買う人。
消費者の思考も様々ですから、一概に市場が壊れてしまうわけではないと思います。
そういう多種多様な商品が存在する環境下でこそ、真に消費者に指示してもらえる商品やサービスだけが残ります。そして消費者に喜んでいただけるサービスを提供できる「お客様志向」の生産者・企業だけが永続し繁栄します。
結局は、お客様に選ばれる商品・サービスになるように、誰もがそういう努力をしなければならないし、行動し続けることが何より重要なのです。

経済活動とは本来、企業や生産者同士の「競争」とか「戦い」などではありません。商品とサービスの「優勝劣敗」であると考えることが大切です。消費者の立場になって良い商品を、良い価格で、そして良いサービスで提供できるよう、常に「朝令暮改」すること。
この「朝令暮改」「改善思考」こそが、すべての「核心」なのです。

日本の農業も、これからは国内だけではなく、海外のお客様とも永続的にお付き合いしていくくらいの「大きな夢」を持って取り組んでも決しておかしくはありません。むしろそうすべき時代になっています。

お米を生産する人、販売している人、購入して食してくれる消費者。
世の中の経済活動はすべて「人間同士のコミュニケーション」で成り立っています。
良い商品を生産し、たくさんの方々にその商品の情報を伝え、そしてその商品の良さを知っていただいて購入していただく。そのような経済活動を地道に行った結果として、生産者・販売者・消費者に「信用」と「信頼」が生まれます。海外の人達に対しても一緒です。言葉や肌の色が違っても、この原理原則が変わることは絶対にありません。ですから、まずはこの「種」の蒔き方を研究しなければなりません。

お米を収穫するには、まず種を蒔いて、発芽させ、肥料と水を与えて、太陽の恵みを授かりながら、大事に大事に育てていきます。そして、秋に実った稲穂からお米を収穫する事が出来ます。これら一連の流れは農家の方には習慣として身についています。

ところが商売やビジネスになると、種を蒔くことを忘れ、ひたすら収穫に走ってしまう人は本当に多いものです。どうしても今日蒔いた種を、明日刈り取ろうとしてしまうわけです。

ですから、突然大きなリスクを取るのではなく、小さなリスクを毎日コツコツと取り続けて努力すること。
守りに入ることで現状を悲観するのではなく、志高く理想を語ること。

わかってはいるけど、なかなか行動できない。
現実的には難しい事も、厳しい事もたくさんあります。

しかし、「大きな夢」や「理想」を語ることを恐れてはいけません。
そして、「攻撃は最大の防御」だということも忘れてはなりません。











山形米 「本沢の米」 稲刈り

9月中旬。秋晴れのさわやかな天候の下、本沢地区でも一斉に稲刈りの作業が始まった。
稲刈りに際して、まずは皆で安全祈願のために御祓いをしていただいてから作業に取り掛かる。大型コンバインの操縦や米の輸送には田から田への移動もあるため、すべての作業を安全に取り行わなければならない。 ㈲本沢農産の今野代表はじめ、生産者の皆様が一丸となり、そして細心の注意を払っての作業開始である。
本沢地区西部に位置する富神山は通称とんがり山とも呼ばれているが、この山はどこで稲刈りを行っていてもよく見える。

最近では、草彅剛さん主演のTBSドラマ「冬のサクラ」 (出演:今井美樹、佐藤健、加藤ローサ、高嶋政伸)において、稲葉祐が石川萌奈美を連れて帰った農道として、この「富神山が見える農道」 がドラマのロケ地として撮影されていた。
ドラマのロケ地として採用されるほど、画になる山なのである。

背景に聳え立つこの富神山と辺り一面、黄金色に実った稲穂、そして青空とのコントラストは何とも美しい。
青空を飛び回っている赤トンボも時折田んぼの稲穂に腰を下ろし、本沢の稲刈りの様子を伺っている。つい先日までとても暑かった夏の日々。季節は少しづつ移ろい行き、秋を感じさせる光景へと次第に変わっていく。
㈲本沢農産の今野代表は全体の陣頭指揮を執りながら、自らもコンバインに乗り込み、稲刈りの現場で作業をする。
その日の天候とそれぞれの田の刈り取りタイミングを見極めながら、一日一日朝から晩までチームごとに刈り取り作業を行っていく。

刈り取られた稲はトラックの荷台に積まれた大きな麻袋の中に大量の籾として送り込まれ、近くのライスセンターへ搬送されていく。ライスセンターの中では、収穫した籾の脱穀・籾摺りを経て、玄米になるまでの作業が行われます。
天気の良い日を見計らって稲刈りを行うのは、稲刈りを行いやすいだけではなく、出来る限り稲の水分が少ない状態で刈り取りを行うためだ。収穫した籾には、多くの水分が含まれているので、その水分を適正に保つためこのライスセンターでの工程では収穫したお米をゆっくりと乾燥させなければならない。お米の水分は、多すぎても、少なすぎても収穫したお米の食味に影響が出てしまうのだ。

こうして大量に刈り取られた籾は大きなベルトコンベアに載せられ、巨大なタンクの中へと次々に送り込まれていきます。

2、3日かけて乾燥した籾は、脱穀・籾摺りを経て玄米となり、低温倉庫へと搬入されます。 翌年以降の出荷予定分については、籾のまま保存しておきます。
これらの作業工程を稲刈りの期間中、フル稼働で行うわけです。

その作業と並行して、今度は収穫されたお米を抜き打ちで採取し、米検査官の手によって品質検査が行われていきます。

山形県産のお米は毎年、産地品種銘柄別の1等米比率において常に上位にランクされていますが、この年の猛暑の条件にもかかわらず、「本沢の米」も1等米~2等米の高品質のお米を収穫する事が出来ました。

ちなみに水稲うるち玄米1等級の条件は整粒割合が70%以上 、含有水分は15%以下、着色粒、異種穀粒混入が15%以下となっています。
品位等検査には1等級・2等級・3等級・規格外の区別があって、心白米や腹白米、胴割米、着色粒の混入、含有水分の過多などが多く見られるほどお米の等級(評価)は低くなります。

当たり前のようですが、我々が普段口にしている「ご飯」というのは、この刈り取ったお米「1粒1粒の集合体」であるということを忘れてはなりません。
実際にこのような作業の現場を一通り拝見していると、そのお米1粒1粒に重みを感じることが出来る。我々は日常生活において、「御飯」を当たり前に食べることが出来、「食の有難さ」をあまり感じることなく何気なしに生活している。

それだけ「豊か」なのだ。

ほとんどの人に「農業の現場」は見えない。
そして感じたり、知る機会もない。

自分が食しているお米は、どんな人が、どのようなところで、どのように農作業して作られているのか。
そんな事をショッピングをするお客様へ情報として伝えることが出来たら、おもしろいじゃないか。

私は映像を通して、このプロジェクトを行う意義を感じていたし、何より、自分自身がそのことに一番気づきたいと思っていた。







山形米「本沢の米」 収穫祭 ~ Now and Forever


11月3日。本沢地区ではようやくすべての田んぼの稲刈りを終え、この日、今年も無事にお米の収穫出来たことを祝う「収穫祭」が行われていた。
旧暦の10月1日にあたるこの日は、昔から「刈上げ」という行事が行われていて、お米の生産に携わった人達全員で同じ杵の餅をつき、近隣住民にそのつきたてのお餅を振舞いました。
近年では農家の数も減少している事から、行事そのものを行う家庭も少なくなったというが、やはり同じ釜の飯を食べる同志達がお互いに労いながら、近隣住民と一緒になってお米の収穫を祝う光景は是非これからも大切にしていただきたいものである。

取材した2010年の夏は大変な猛暑に見舞われたが、山形県期待の新品種「つや姫」は全量一等米、山形県の主力品種「はえぬき」もすべて一等米から二等米と、猛暑と言う条件下においても、本沢地区では高品質のお米を収穫する事が出来ました。

山形県産「つや姫」が、高温にも耐えうる品種であったこと、そして極良食味で消費者からの評判が良いことなどは、山形県の米生産現場にとって大きな希望となりました。

「でもやはり、一番の励みとなるのは、お客様の声、消費者の皆様による生の声。これに勝るものはありません。」と㈲本沢農産の今野代表。

それは決して良い意見ばかりを歓迎するということではなく、むしろ厳しい意見にこそしっかりと耳を傾けたいという生産者としての誇りでもありました。

お客様の感想や意見というものには、必ず「改善」のヒントがあります。
お客様が語る問題や疑問にこそ、本当の意味での「答え」があるわけです。

「改善」なくして決して美味しいお米など作れるわけはありません。そして、お客様に喜ばれることもありません。
農業の現場においてもやはり、この「改善のプロセス」が最も重要です。

消費者の皆様はお米を購入する際、お米の産地や品質、食味や価格というものを大きな比較対象にしていると思います。

私はそれに、山形の米「もとさわ」の背景にある、自然や風土、歴史、文化、そして生産者の人柄といったものを、お客様の比較優位の一つとして加えていただきたいと思っています。

「生産者や産地が見えること」「安心と安全が見える」ことは、お客様の購買指針にとって大変な強みだと思うからです。

  私自身はこれから、この山形の米「もとさわ」を(有)本沢農産様、ご購入いただいているお客様と一緒になって、末永く育てていきたいと思っています。

このようなアクションを永続していく事によって、本当の意味での「地域貢献」「社会貢献」ができると考えているからです。






山形米「本沢の米」 お客様の声

山形の米「もとさわ」は、山形の主婦達にも大変好まれて食されています。
山形の米「もとさわ」は、小粒ながらも大変食感がよく、甘味があるのが特徴です。

定期購入しているお客様へ取材に伺った時には、「炊飯器を開けると御飯が立っている。」「いつもふっくらと炊けます。」などのうれしい声を聴くことができました。
山形県以外の地域においても定期購入してくださっているお客様がたくさんいらっしゃいます。全国の消費者の皆様の声や感想は、生産者にとって大きな励みになっているようです。

全国の各地域においても美味しいお米がたくさんある中で、山形の米「もとさわ」を選択してくださるのは本当にありがたいことです。


この山形の米「もとさわ」は、地元の輸出業者であります鬼嶋庄一郎商店(山形市)様を介しまして海外にも輸出されており、香港にある高級リゾートホテル「シャングリラ」の日本レストラン採用のお米にもなっています。
また2011年1月には、前年に収穫されたばかりの山形県産「つや姫」を初めて海外に向けて輸出しました。出荷された「つや姫」は、香港の高級百貨店シティ・スーパーで現地の方々に販売されました。値段は少々高めですが、海外の人達からの評判はとても良かったということです。
この「農業分野におけるグローバル化」は、今後益々加速していく事になるでしょう。


日本で生産された美味しいお米を食したいと思っている人達は、海外にも必ずいます。
そして最近の外国人は、健康ブームも手伝って、日本食(和食)にかなり精通しています。
日本の食文化であるSUSHI (寿司)を通して、日本のお米のおいしさも知っています。

いつの日か、Japanese rice "MOTOSAWA" として、山形のお米が海外の食卓に並び、外国の家族が、皆で御飯を口にしている光景があったとしたら........。

山形で農業を行っている人達にとって、きっと「大きな誇り」となるのではないでしょうか。

志高く、大きな理想を夢見ながら.......







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